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第六章 教育

第一節 學校教育

本庄域内住民の子弟の為に初等普通教育機關として明治三十一年四月一日より樹林に臺北國語學校傳習所分教場を設置せしが、同年七月臺灣公學校令の發布あり、同年十月一日より國語傳習所は公學校に變更せられたり。爾來地方民の向學心日に昂まるに伴ひて漸次學校を搨uし、其の學級亦年と共に増加せられ、昭和七年度現在に於て公學校四、分教場一、學級數四十三にして、在學兒童一千九百七十八名なり。今各學校の沿革を記せば左の如し。

(一)樹林公學校

一、明治三十一年四月一日臺北國語傳習所分教場として開設。

一、明治三十一年十月一日樹林公學校と改稱。

一、明治三十四年三月校舍落成。

一、明治三十四年四月教育勅語謄本御下賜。

一、大正二年八月二十日現位置に移轉す。

一、大正七年度三教室、大正九年度四教室、昭和元年度一教室、昭和二年度二教室、昭和六年度一教室(五月)同年度(六月)三教室を増築す。

一、大正十五年四月一日高等科設置認許。

一、明治四十四年三月十七日柑園分校設置、大正十年四月獨立す。

一、大正九年四月一日山子脚分教場設置、昭和五年四月獨立す。

(二)尖山公學校

一、明治四十年十二月二十五日三角湧公學校の分校として創設、當時は職員二名、兒童六十九名なりき。

一、明治四十四年二月六日教育勅語謄本を奉載す。

一、同年四月一日四學年程度の公學校に獨立す。

一、大正二年四月一日六學年程度の公學校に變更す。

一、昭和三年五月二十九日臺灣軍特命檢閱使 九邇大將宮殿下には當地方に開かれたる陸軍演習御統監の為め當地へ御成りあらせられ、御歸途當校へ御立寄り御遊ばさる。校長原田万太郎特に拜謁を賜ふ。

一、昭和四年九月二十九日 邦彥王殿下遺跡記念碑及び記念講堂建設。

(三)柑園公學校

一、明治四十四年三月二十七日樹林公學校柑園分校の設立認可せられ、同年四月十日より兒童募集、同月十三日より民屋(溪墘厝柑園八番地)を假教室に充てて授業を開始し、同年九月新校舎(現校舎)竣工に付轉移す。

一、明治四十四年十一月二日教育勅語謄本を奉載す。

一、大正十年四月二十四日樹林公學校より分離獨立し、柑園公學校と改稱す。

(四)山子脚公學校

一、大正九年四月一日樹林公學校分離教室として設立。

一、大正十一年四月一日校舎新築落成(二教室)。

一、大正十二年樹林公學校山子脚分教場の設立認可せらる。

一、大正十二年十月十五日二教室増築。大正十四年四月職員宿舎一棟新築。大正十五年九月十日事務室増築。

一、昭和五年三月三十一日樹林公學校山子脚分教場廢止され、同年四月一日山子脚公學校設立認可せらる。

一、昭和五年九月二十日校舎一教室及び渡廊下増築。

一、昭和五年十一月十五日開校式舉行。

一、昭和八年五月二十二日教育勅語謄本を奉載す。

(五)大湖分教場

一、昭和四年鶯歌庄同風會の事業として民屋(圳子頭坑一四六)を借りて改良書房を設立し、游正義氏を任用して教務に當らしめたり。

一、昭和五年地方民の寄附及び同風會の經費合計金一千五圓にて二教室及便所を建設せり。

一、昭和五年七月游正義氏願に依り免職。其の後任として游色教氏を起用せり。

一、昭和六年一學級を増設し、陳氏來金を任用せり。

一、設立以来成績良好なるを以て昭和七年二月十日に尖山公學校大湖分教場として認可を得、同時に尖山公學校の經營に移し、宿舎一棟建築せり。

一、昭和八年四月一日より一學級を増設し、更に一校舎を建築せり。

(六)學校概況

(イ)各學校概況(昭和七年度末)

(ロ)最近五ケ年間の本島人就學狀況

第二節 社會教育

(一)同風會

(イ)沿革概説

(桃園廳時代)

一時本島の重要なる社會教育機關の一として活躍せる同風會は大正三年十一月二十九日當 の一角樹林に於て呱呱の聲を舉げ、大正五年に至りて桃園廳三角湧支廳管內に普及し、爾來 次殷盛を告げたり。

本會は専ら風俗の革新、陋習の矯正、迷信の打破、國語普及等を目的とし、當時の樹林區 黃純青氏の發案にかかるものなり。創設當時は多大なる誤解を受け、指彈を蒙むること か ざりしが、其の後設立の趣旨漸く一般に理解せられ、實績亦舉がるに連れて次第に世人の認むるところとなれり。

(地方制度改正後)

大正九年十月地方制度に伴ひ、一庄に一同風會を置き、警察官吏派出所の區域を單位として分會を設くる等、從來の組織に改編を加へたり。之より成績頓に上り、社會教育機關としての真價を認められるるに至れり。次で大正十四年臺北州令を以て準則を公布せられ、複び組織の變更を見、爾來本會及び各部會に於て實施したる事業の概要は各部會の参考資料として の都度庄報に登載し、以て豫定事業の實施促進に資し、又其の統一を圖りつつあり。

昭和四年に至り、當時の庄長陳阿玉の英斷を以て各部會の獨立機運を促進せむが為に夫 定額の部會費を補助し、自發的活動を慫恿したる結果、各部會の事業俄に活況を呈し、成績頗る佳良を告げたるも、昭和六年十二月臺北州より發布せられたる教化聯合會に關する訓令、青年團體に關する訓令、成人團體に關する訓令に依り、同風會訓令は自然消滅となり、本會遂に解設するの已むなきに至りたり。

(沿革表)

◯三角湧支廳管內同風會一覽表(自大正三年十一月至大正九年九月)

◯鶯歌庄同風會分會一覽表(自大正九年十月至大正十四年九月)

◯大正十四年組織變更後鶯歌庄同風會一覽表

(ロ)綱領

一、皇室を尊崇し報國の至誠を効すこと。

一、國語を練磨し常識の修養に努むること。

一、公コを重し共存の誼を厚くすること。

一、習俗を匡勵し郷風の醇厚を圖ること。

一、勤勞を尚ひ職業的智能を磨くこと。

(ハ)組織

區域=庄區域に準す。

會員=庄住民を以て組織す。

部會=戶主會、主婦會、青年會、處女會等の部會を設く。

役員=會長一名、副會長二名、評議員、幹事各若干名を置く。

(ニ)事業

各部會の行事を援助又は指導し、相互の連絡統一を圖る外、左の行事をなす。

(イ)講習會、講演會、國語演習會等の開催。

(ロ)各種展覧施設。

(ハ)本會功勞者、篤行者の表彰。

(ニ)其の他必要と認むる事項。

(二)鶯歌庄教化聯合會

時勢の進運に鑑み、教化運動の強調、及び之が統制連絡を圖る目的を以て、昭和六年十 月教化聯合會、青年團體に關する州訓令の發布あり、教化組織に一大改革を加へられ、從來の同風會は之を廢止し、翌七年二月九日青年團、成人會等の組織設立を見るに至れり。本運動の 旨は國民精神作興、國語普及及び生活改善の目的を達成するにありて、、州聯合會、郡聯合會、 聯合會の下に各種教化團體を包含せしむるものなり。今鶯歌庄教化聯合會の概要を掲くれの如し。

(イ)綱領

一、國體觀念を明徹にし國民精神の作興に勗む。

一、國語の普及に努め郷風の醇厚を圖る。

一、生活の改善を圖り國力の培養に勗む。

(ロ)事業

一、國旗尊重の觀念を徹底せしむること。

一、國語の普及を圖ること。

一、生活の合理化を圖ること。

(ハ)實施事業概況

⒈ 會議(顧問會、總會、教化委員會)。

⒉ 生活改善實行會幹部座談會。

⒊ 神社参拝(並視察)。

⒋ 精神修養並に衛生講話會。

⒌ 教化ニ關スル活動寫真映寫。

⒍ 青年の集。

⒎ 國語の家建設。

⒏ 男子青年團聯合キヤンピング。

⒐ 女子青年團家事講習會。

⒑ 乳幼兒愛護週間。

⒒ 教化功勞優良團體の表彰助成。

⒓ 其他各種教化強調事項の宣傳。

(ニ)加盟團體概況

(三)青年教習所

昭和四年四月十六日州訓令第八號に依り、公學校卒業生を輔導誘掖して健全なる國民、善良なる公民としての教養をなす目的の下に樹林公學校に青年教習所設置せらる。主事以下指導員は樹林公學校長及び同校職員に依囑し、經費は州補助金及び庄費を以て之に充つ。本所設置以来の概況左の如し。

(四)簡易國語講習所

本庄に於ては不就學者に國語を習得せしめ、兼ねて公民的教養をなす目的を以て昭和七年八月十九日簡易國語講習所四ヶ所を開設したり。講習期間は一箇年(一年六十日以上)、經費は庄負擔とし、青年團並に女子青年團をして經營せしむ。昭和七年度末概要を示せば左の如し。

(五)圖書館

大正天皇御大禮記念事業として庄圖書館設立計畫を樹て、昭和三年九月十七日其の筋の認可を得、同年十一月十日之が開館を見たり。爾來逐次藏書の増加を圖り、一方其の利用を極力慫恿したるも、設立以来日尚淺きため、未だ十分の成績を舉ぐるに至らず。現在の狀況は藏書冊數七四五冊、閱覽人員一日平均二〇・九三人、昭和八年度豫算六百五十圓、巡回文庫回付組數三なり。


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