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七 圓通禪寺

板橋から無電の高い塔を仰ぎ見ながら中和庄に向ふと、右手の山腹に大きな迦藍と五重の塔が見える。之が有名な石壁湖山圓通禪寺で俗に尼寺と稱して居る。標高は百二十米、中和庄役場から山麓まで約二粁、それより石疊み坂路を登る約一粁で本堂に達する。寺の附近は酷Hる連峰をめぐらし、左の方は斷崖絕壁で天然の一大石壁を作り、幽邃の氣が自ら湧き起つて来る。前方は展望が開けて臺北平野を一眸の裡に收め、長蛇の如き淡水河の清流の盡くるところ、遙かに觀音及大屯七星の秀峰が起伏するを望み風光明媚、土地閑雅で寺院建立の地としては此の上もない所である。特に闇に浮き出す臺北市の夜景は又一入の眺である。

此の寺を開いたのは、林妙清師と呼ぶ未だ三十餘歲の若い尼僧で、俗名を林氏塗といつて、新竹市の人、二十二歲の春、世の無常を悟つて佛門に入り、新竹州香山の尼寺一善堂で佛學を修め、難戒苦行を積む事三箇年、常に本島在來佛教界の不振を歎いて、將來の布教や尼僧の教養上に一進展をなさんが為めに一宇の建立を思ひ立ち、靈界の偉人臺北市龍山寺の住職覺力和尚と相謀り、現在の靈地を卜し、自ら私財を投じて工費貳萬七千圓を以て寺院を建立する事となつたのである。工事は昭和二年七月から二箇年で完成する豫定であつたが、財界不況の為め一般の喜捨意の如くならず、延期又は一部變更等其苦心は一方ならぬものであつた。一石を積んでは世の喜捨を待ち、一木を植ゑて風致を添へ、あせらずさわがず初念の貫徹に勉め、一念凝つて現在の一大勝地をなしたもので、昭和八年十月三十一日本堂の落成を見、盛大な入佛式が行はれた。

境內は土地が宏大で約二萬平方米もあり、釋迦佛の金像を安置する本堂をはじめとし、事務所・僧房兼佛堂一棟、客室、岩窟庵、新築コングリート建僧房各一棟、及び附屬建築物數棟、他に五重の納骨塔を有し尚且つ石壁の佛像、記念碑の雕刻はよく人目をひき、自然を美化した庭園と共に、全く遊覽地としても充分整頓せられ、從來女教員大會や修養會等が開催せられた事もある。今や枋寮から山麓までの道路も開鑿せられて交通は便利となり、且つ臺北市や板橋からの郊外散策には適當の距離にあるので、女學校、女子青年團及び婦人團體等の遠足參拜する者が多い。

目下寺內には止宿尼十名と齋友二十餘名が起居し、何れも戒律を嚴守して寺務に格勵しつつあるが、朝夕の精進には自ら襟を正さしむるものがある。

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