二 皇恩無窮 皇孫瓊々杵尊神勅を承け、神器を奉じて豐葦原瑞穗國に降臨し給ひしより、皇統は連綿として萬世に連り、歷代の天皇は神意を奉じて民を視ること赤子の如く、臣民も亦天皇を大御親と崇め奉り以て天壤と共に窮りなき、萬邦無比の國體を成せり。 明治天皇御即位以來、開國進取の國事を定めさせられ、智識を世界に求め、大いに皇基を振起し給ふ。鎖國三百年の扉一度開かるるや、西洋文明は滔々として入り來り、國民は之に眩惑され、徒に之が模倣に汲々として、玉石混淆1 を顧みず、遂には歐化主義の流行となり、自由主義に心醉し、民權を主張して國家を忘れ、或は個人主義に傾き家族制度を紊し、功利主義に流れ柔弱淫靡2 の演藝舞踏に墮し、華美驕奢の風民心に瀰漫7し、良風美俗をも破壞するに至れり。かくて我國體に悖り國民道コを紊亂して、三千年の光輝ある歷史を失墬せざる恐るゝに至れり。 こゝに於て、明治二十三年十月三十日畏くも 明治天皇は勅語を下し給ひて、我國體の精華とする所を昭示し、國民道コの要綱を垂示せられ、斯道は皇祖皇宗の遺訓にして天地の公道なることを教へられ、君民一コの御精神を明にせられ、以て國民教育の本源する所を定め國民實踐の規箴3を與へ給ふ。之實に教育に關する勅語にして、國民の日夜服膺して、須臾怠るべからざる萬世不朽4 の聖訓なり。爾來弊風は漸次改まり、國民は各々其の志を遂げ、專心國運の發展に寄與せり。 明治三十七年、露國は世界の強兵を誇り、東洋諸國を一吞して、其の野望を遂げんとせしが、畏くも皇祖皇宗の神靈の御加護と天皇の御稜威とに依り、我が忠烈勇敢なる皇軍の進むところ、終に彼をして我が軍門に降らしめ、前古未曾有の大勝を博せり。こゝに於て帝國は一躍して世界の一等國に列する及び、やがて國民の間に奢侈享樂の風萌し、危險思想の醞釀5 をさへ見るに至れり。國情を案ずるに、既に二十億の國債を負ひ、外交の更新、國防の充實、產業の開發、其他教育、行政等庶政更張を要するもの甚だ多く、安眠を許さゞる緊要なる時期に際會せり。畏くも 明治天皇深く 御宸念6 あらせられ、明治四十一年十月十三日詔書を下し給ひて、外世界平和の確立、國交の惇厚を期せらるゝ御趣旨を明示せられ、內國運の發展に須つべく、忠實業に服し、勤儉產を治め、惟れ信惟れ義、醇厚俗を成し、華を去り實に就き、荒怠相誡め、自疆息まざるべく、以て國力の充實を計り、光輝ある祖宗の遺訓と、國史の成跡とを恪守して、淬礪の至誠を盡すべきを諭し給ふ。時恰も戊申の年に當るを以て戊申詔書と云ふ。爾來國民は御聖旨を奉體して、奮勵努力し、以て大いに國力の充實を期せり。 明治四十五年七月三十日、 明治天皇神去り給ひ、國民哀愁の淚未だ乾かざるに、大正三年歐洲大戰勃發し帝國も亦日英同盟の誼により、之に參加し武威を中外に宣揚せり。翻つて國內を顧みるに、商工業の勃興に依り、莫大なる利益を收め、國民の經濟豐なるに伴ひ、奢侈逸樂の風漸く擡頭し、自由平等の思想は滔々として瀰漫 し、浮華放縱、輕佻詭激の風漸く萌せり。 時恰も大正十二年九月一日、關東に大震災起り、十數萬の生靈と數十億の財寶を奪ひ、帝都は忽焉として焦土と化せり。畏くも至仁至慈の 大正天皇には深く御宸念あらせられ、特に 攝政宮殿下には、連日燒跡を御巡啟あらせられ、罹災民の救助、帝都の復興に深く叡慮8 を惱まし給へり。 此處に大正十二年十一月十日、大正天皇詔書を下し給ひ、國家興隆の本は國民精神の剛健に在るを明示せられ、國民の士氣を鼓舞し給ふ。即ち先帝 明治天皇の諭し給ひし教育勅語竝に戊申詔書の聖訓に恪遵して、其の實效を舉げ、特に大戰以來釀成9 せられたる浮華放縱を斥けて、質實剛健に趨き、輕佻詭激を矯めて醇厚中正に歸し、以て國家の興隆と民族の安榮社會の福祉とを圖るべきを諭し給へり。國民は將に猛省し奮勵協力以て國力の振興を圖り、御宸襟10 を安んじ奉らざるべからず。世にこれを國民精神作興詔書と云ふ。 昭和六年九月十八日滿洲事變突發し、新に滿洲國の建國を見るや、帝國は東洋平和確保上其の必然なるを認め、之が健全なる發達を援助せり。然るに國際聯盟は實情を認識せず、之を曲解11 して公正なる帝國の態度を排斥せり。こゝに於て帝國は昭和八年三月二十七日聯盟を離脫するに至り、畏くも 聖上陛下詔書を渙發せられ、國際平和を冀求して十有三年聯盟と協力せしが、遇々滿洲國の獨立に際し、聯盟と所見背馳するが故に己むなく離脫せるも、今後も一層國際平和の確保につとめ、信を國際に篤くし、大義を宇內に顯揚すべく、文武眾庶舉國一致、協戮邁往以て皇祖考の聖ゆうを冀成し、人類の福祉に貢献せむことを諭し給ふ。聖旨誠に尊し。吾等國民は日夜淬礪以て皇國の伸張を期せざるべからず。 抑も國運の消長は、國民の士氣如何に據る。殊に皇恩に感じ、意氣に燃え、君國の為め己を捨てて勇往邁進所信を貫徹せんとするもの、青年に如かず。古來青年にして一國の動力となり、一世を動かしたる例尠しとせず。維新以前に於ては若連中12 、又は健兒社13 の如きものありて、專ら其の修養に努めたる所以亦此處にあり。維新以後漸次青年團の發達を見、大正に及びて益々其の本領を發揮するに至れり。明治神宮御造營に際し、全國各地の青年團競ひて勞力奉仕するもの多く、其の活動日覺ましきものありたり。 大正九年十一月二十二日、 東宮殿下は明治神宮鎮座祭に參列の全國青年代表を高輪御殿に御引見遊ばされ、親しく御會釋を給はり、更に、青年の修養は國運進展の基礎なるを以て、內外の情勢に顧み其の本分を盡し、奮勵協力以て其の本領を發揮すべき旨の令旨を下し給へり。 翻つて本島は、領臺既に四十年を經、惡疫蕃害を以て知られたる地は、今や常夏の樂園と化し、島民均しく生に安んずるに至れり。 大正天皇未だ東宮に在します頃、一度本島に行啟を御內定あらせられしも、大喪に遭ひ果たし給はざりしと漏れ承る。然るに、大正十二年四月十六日基隆埠頭に玉步を印し給ひ、ついで全島各地を普く御巡駕あらせられ、親しく實情を照覽あらせ給ふ。鶴駕奉を迎し御英姿を拜し奉り島民の光榮譬ふるにものなく、朝に夕に、歡喜を專ら奉迎の赤誠を捧げたり。剩さ恩賜金の御下賜、匪徒に對する恩赦の御沙汰を拜するに及び、皇恩の無窮に感泣せざるものなかりき。 かくて四月二十六日總督を召され、優渥なる御沙汰書を賜はりたり。本島在住民たるもの、內臺人を問はず、相和し、相協力して、益々文化の發達を圖り、愈々民生の安定を期し、以て 聖上陛下御仁愛の意に副はんことを期せざるべからず。 いざや吾等青年、修養に勵み、身を鍛へ、家業に勉勵し社會公共に力を竭し、我が鄉土の發展と淨化14 に努め、以て無窮の皇恩に對へ、滿腔の忠誠15 を捧げ奉らむ。 1 玉石混淆 玉も石も入りまじること即ち長所も短所も一所にまぜること 2 柔弱淫靡 よわよわしくて且つみだらなおこなひ 3 規箴=いましめ 4 萬世不朽 萬年後までくちない 5 醞釀 知らず知らずの中に湧いてくること 6 御宸念 天皇様が御想ひ遊ばされること 7 瀰漫 水のひろびろとひろがりみつるさま 8 叡慮 宸念と同じ 9 釀成 醞釀と同じ 10 御宸襟 御宸念と同じ 11 曲解 故意にまちがつた解釋をする 12 若連中 青年團と同じく集つて修養する會 13 健兒社 鹿兒島にあつたもので少年を鍛鍊する所で今の少年團の起源であると言はれてゐる 14 淨化 よごれをきれいにする即ち社會を改善すること 15 滿腔の忠誠 胸一杯の誠を出して忠義をつくすこと |