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一二 郡下の產業

一 稻

稻は吾々の食物として最も貴重な作物であるばかりでなく、我が國は勿論臺灣に於ても產業の大宗である。吾が海山郡では昭和七年の農作總產額は約參百九拾餘萬圓あり、其の內米の產額は貳百六拾八萬餘圓で六割九分を占めてゐる。

本郡では一、二兩期作を合せて作付甲數一萬千七百三十甲、生產量は豐凶によつて多少の差異はあるが大體十七萬餘石、其中十萬石內外を飯米として消費し、殘りの七、八萬石は郡外に搬出してゐる。此の大部分は蓬萊米と丸糯米である。內地に於ては年々人口の揄チと生活の向上とによつて米の消費量を揩オ、年約一千萬石內外の不足を生じて居るので、朝鮮及臺灣からの移入に依つて之を補つてゐる。臺灣約からは約四百萬石を移出して母國の食糧對策に大いに貢獻してゐるのである。現在郡下に於て、稻作獎勵上實施中に係る、主なる事業は次の通りである。

一、優良品種普及、統一 稻の品種は頗る多く、本島內のみにても百數十種に上つてゐる。今本郡下の主なるものを示せば蓬萊種中粳=臺中六十五號(三四〇〇甲)三井神力、旭、臺農十八號、在來種依其作粳=花螺(一九〇〇甲)下腳柳洲、鳥殼、同二期作粳白格(三一〇〇甲)同糯=鵞蛋求(二二三〇甲)である。是に對し州に於て原種田を設置し、獎勵品種の種籾蕃殖を行つて、每年米農家に配付してゐる。

原種田位置

1蓬萊種=七星郡北投庄竹子湖(經營面積四十五甲)

2丸 糯=七星郡士林街三角埔(經營面積十甲)

二郡下各街庄別種籾配布數量(昭和九年度)

三 撈セ對策

1 深耕犁普及

2 地方攝i

堆肥舍建設普及製造施用量揄チ鵠青皮豆栽培普及(昭和八年度)

四 栽培法の改善

選種密植苗代の改良施肥管理の合理化等單位收量の揄チを計るには、昔から「一種二肥三手入」の諺がある如くであるが、是を煎じ諦めて考へると次の通りである。

成熟豐穰

水稻撈セ競作會に於ける甲當最高收量調

內地      一六四・三二四

     昭和四年島根縣

臺北州 七二・四一六

    昭和四年淡水郡

海山郡 六七・六四九

    昭和六年土城庄

ィ、良い種籾 種子は、其の品種の固有特性を持つ母本から採つた、重くて大きい種子がよい。之は養分を多く含み、苗は充分に養はれて旺盛な成育をするからである。

ロ、良好なる萌芽 萌芽した種子は、子芽の長さが籾粒の長さと同一で、子根はこれの二倍位に伸びたるものが最も良い。斯樣なものを作るには浸種と溫度とに注意が必要である。浸種日數が四日より短いと子根が徒長し、長いと發熟が遲いが齊一となる。又溫度が高過ぎると、子根のみが伸びるから時々清水で洗はねばならぬ。

ハ、苗代半作69 昔から苗代半作の諺があるが、全く苗の良否は夫れ程大切で收量に影響を及ぼすものである。故に苗代田の位置土質は勿論、泡水苗代を作り、肥料等に注意すれば播種後一期作三十五日二期作九日乃至十五日位で、苗丈け五、六吋に伸び插秧に適する若苗70 が出來る。改良泡水苗代の作り方は次の通りである。

苗代用地は二期作收納後、直ちに稻株を除き、淺く鋤起し良く乾かして、播種の十日乃至二十日前に二回目と三日前に三寸程に極く淺鋤し土塊を粉碎する。播種の前日(砂地は當日)淺く灌水して手耙で十分代搔し濁水を其のまゝ排水せずに置くと、翌朝即ち播種當日水は土中に吸收せられて、固さは蒔き床を拵らへるに適當である。

床作りは播種當日先づ苗代の周圍に、幅一尺五寸位の溝を作り、防風檣に平行して、四尺每に幅一尺深き五寸の溝を切り、短冊形の蒔き床とする。其の方法は蒔床幅四尺溝一尺每に張繩をして栗爬にて溝の上を蒔床面に搔き上げ平らに床均しをする。この時決して床上には足跡を附けぬ事が肝要で、一度足跡が出來た所は後、凹みを生じ苗が不揃ひとなるからである。
ニ、施肥  施肥は稻作上極めて重要な事柄であるが、大體次圖の如き心得でよいと思ふ。其の三要素の配合率は種々の條件に依つて異なるが、概ね窒素三貫、燐酸加里各二貫が普通の標準である。

生育狀況對肥效形式

現在農家施肥形式

ホ、田の草は草を取るのにあらずして

土をなふつて米72 は丸々

稻の除草は此の歌の如くで、大根等を作る時の中耕をも兼ねたものであるから、土壤を上下反轉し日光の溫熱を土中に入れて、根の發生伸長を助長し、稻の生長促進を計らねばならぬ。

へ、出來過ぎは不作の基 稻は成熟期に入り倒伏すると、青米や死米が多くなつて收量が著しく減るから、よく肥料を配合し除草後二、三日曝田して稻草を健剛に育てることが肝要である。

ト、病氣は豫防蟲は驅除 稻の病蟲害は澤山あるが、北部臺灣では被害の甚しきものはイモチ稻熱病である。此の病菌の發生は、蒸し暑く濕氣多き天候に發生する故、耐病性の強い品種を選び、加里肥料を施し粗硬に育てるがよい。
チ、早刈は收量少く遲刈は味を失ふ 稻刈の適期は、穗が黃變して穗元に二、三粒の青籾73 がある時期がよい。大抵穗揃期から三十日乃至三十五日の程度である。

以上は米作の概要であるが、郡下の產米を市場に出して名聲を博するには、米の品質を良くすることが第一で、夫れには品種の選擇、米の乾燥が必要で、品種としては、旭、三井神力、臺中六十五號を選び、又乾燥を圖るには「タールクレー」塗乾燥場(タール原液二石で六十五坪塗るには約三拾五圓を要す)を普及せねばならぬ。

次に生產費の遞減であるが、これには金肥を節約し、自給肥料を代用することが必要である。自給肥料としては堆肥の製造と鵠の栽培とが重要な事項である。

二 蔬菜

臺北州下74 には、淡水河・大嵙崁溪等の沖積土地帶に、蔬菜栽培の好適地を有しながら、臺北・基隆の消費都市の需要を滿たすに至らないのは、その農業經營の方式が依然として舊態の儘で、品種栽培經濟等の顧みられない為である。農業經營中最も集約化した蔬菜園藝を採擇することは最も肝要なことである。

海山郡では大嵙崁溪・新店溪の沖積土地帶が州下の主要な蔬菜栽培地であるに拘らず、從來は甘藷・甘蔗をのみ多く栽培してゐたが、輓近臺北市の消費量が激揩オた為、鄰接地であり又輸送に便利な我が郡の栽培面積は急に揄チして、現在農產物中、米・甘藷・甘蔗・茶等に次ぐ重要農產物の一となつて、その栽培面積は一千九十三甲、年產額參十二萬三千七百八拾四圓に達して、州下郡市中の第一位を占むるやうになつた。これを大正十年の栽培面積六百二十二甲に比すれば、約一・五倍以上の揄チで、其の主なる蔬菜の生產狀況は次の通りである。

郡下蔬菜生產狀況(昭和七年末調)

本島種の蔬菜は主に自家用として、郡下の各地に栽培せられてゐるが、內地種・外國種は販路の關係から主に板橋街・中和庄で栽培されてゐる。現に品質優良で歡迎されてゐるものに、板橋街の甘藍・葫瓜・南瓜・茄子・西瓜等があり、中和庄の蔥・牛蒡・薯蕷等がある。尚中和庄の花葫瓜、板橋街江子翠のトマトと莢豌豆、三峽庄の里芋、鶯歌庄柑園の澤庵・切千の蔬菜加工品等は將來有望視されてゐるものである。

蔬菜園藝の發達を計るには、その消費市場75 を需めなければならぬ。臺北基隆の大消費地に集まる蔬菜の額は、一箇年百七拾九萬圓で、臺北市が百二拾九萬圓・基隆市が五拾萬圓と見積られてゐるが、この兩市の市場で取扱れる額は臺北中央市場が六拾七萬圓・基隆野菜市場が拾五萬圓合計八拾貳萬圓に過ぎない、約百萬圓近くの蔬菜は市場外取引竝に栽培者の直接販賣によるものである。

本島では一箇年に九百貳拾七萬圓の蔬菜產額を示してゐるが、その大半は自家消費及び地方消費で、市場に出廻るものは極めて僅少である。又その品質不良の為、需要に應ずることが出來ず、年々多額の移入76 を狀態である。
郡下の蔬菜販路を觀るに鶯歌庄・三峽庄・土城庄は、自給自足の域を脫せず、板橋街・中和庄・臺北・基隆の市場に搬出せられるものも、百七拾九萬の需要に對して、僅々十數萬の供給に過ぎない。

近時需要者の嗜好は分量よりも品質本位に變つて來た、又季節外のものを要求するやうになつた。それで農家は常に品種にも栽培にも改良を加へ、量に、質に、優良なものを生產して、臺北・基隆の近接都市はもとより、島內の需要をみたし、その上海を渡つて內地にまで延ばし、更に大需要地である滿州國にまで進出するやう研究工夫することが、今後の蔬菜園藝經營上に極めて肝要なことである。

三 果 樹

郡下の畑の總面積六千五百餘甲の中、現在果樹園となつてゐるのは、百九十餘甲に過ぎない。しかし果樹園藝に適する土地が六七百甲もあるから、今後發展の餘地は充分である。果樹園藝といつても、いろ〱あるが、本郡としては土質や氣候などから考へて、柑橘類の栽培が最も有望であらう。しかし現在のところ柑橘類の栽培面積は僅々九十餘甲で誠に不振な狀態にあるが、これは從來販路が島內に限られてゐた為、經濟的に大した期待がかけられなかつたからであらう。ところが文化の進むにつれて、島內の需要も年々揄チするし、內地方面の販路は益々擴張されて來た。その上滿州國も有望な市場として、見きわめがつけられた為、今では競ふて柑橘の栽培攝Aをはかるやうになつた。殊にまた最近甘蔗の值段は下るし、米は移出を制限されて農村の景氣は惡くなるばかりであるから、柑橘栽培は農家の有力な副業として、注目されるやうになつた。

近頃この柑橘栽培熱に浮かされて、何等の經驗もなく、準備もなく著手したものもあるといふが、それでは到底成功は覺束ないであらう。殊に一攫千金を夢みて、徒に大面積の栽培をなすなど誠に危險なことである。

柑橘類は山腹や傾斜地に適するのであるから、郡下の既成柑橘園は、場所としては誠によいのであるが、表土の流失に無關心な舊式の栽培法では、到底品質のよい柑橘を多量に生產することは出來ない。これはどうしても現代式の合理的な階段畑に改めねばならない。次に種類や品種も選擇をあやまつてはならない。とかく奸商や宣傳家の言に迷はされて、不良種を買はされることが尠くないから、この點については郡や役場の指導者を充分信ョして、その斡旋を乞ふ事が最も賢明な策である。郡下の氣候や土質、或は將來の販路などを考へると、密柑ならば高墻桶柑バーレンシヤ、グレーブフルート、朱欒類ならば晚白柚、麻豆白柚、鷺洲白柚などを最適品種として推獎したい。

このほか病蟲害についても、深く注意を拂はなければならない。病蟲害をうけた時、これを速かに驅除するは勿論のこと、平常時でもその豫防法を講じなければならない。また狹い土地に密植して、儲けやうとしても結局駄目なことだし、立木賣買など經濟的に損なことはわかりきつたことだから、こんな舊慣は一日も早く改めねばならない。柑橘のほかに有望な果樹は柿である。今のところ鶯歌庄の大湖地方が產地として知られてゐるだけであるが、殆ど品質の惡い四周柿のみであるのは遺憾である。是非牛心柿のやうな優良な品種に改めたいものである。

四 茶

世界に於ける非アルコール飲料の代表的のものは茶の葉珈琲の種子及ココアの實で、消費量では茶・珈琲・ココアの順序となりココアは遙かに少ない。

茶樹は山茶科に屬する常告ォ喬木で、現在世界に於て茶を栽培する地方は本邦內地・臺灣・中南部支那・英領印度・錫崙・爪哇・スマトラ・南部ロシヤ等の濕度の高い溫暖な地方に限られて居る。

我々人類が始めて茶を用ひたのは數千年前と云はれて居るが、其の日用飲料として流行を見るに至つたのは支那では千數百年、我が國では六七百年、西洋では、二三百年來のことである。然し現在では最早文明人の生活必需品であつて、全世界の消費量は十數億萬斤に上ると云ふことである。

茶は製法によつて色々の種類が出來る。即ち製造中に於ける酸化醗酵の程度によつて分類すると次の樣である。

茶非發酵茶・・・穀類

半發酵茶・・・烏龍茶・・・包種茶・・・毛峰茶

發酵茶・・・紅茶

然し同樣の製法をなしたものでも產地によつて風味を異にするから、地名を冠した稱呼をなすことが多い。例へば日本茶、支那茶、印度茶があり、本島でも、臺北州文山郡の海山郡の三峽茶、土城庄の擺接茶、七星郡の南港茶、新竹州竹東郡の竹東茶等がある。

本島茶は從來烏龍茶、包種茶のみに限られてゐたが、一昨年來紅茶及滿洲向毛峰茶の二種類を加へてゐる。就中烏龍茶は本島諸重要物產中、島外市場に最も早く頭角を現はしたもので、西曆一千八百六十九年、英人ジョンドツド氏が二千百三十一擔を米國紐育に送つたのが始めてある。爾來烏龍茶は主に英米兩國に輸出してゐる。包種茶は南洋諸島、支那各地、佛領印度支那、暹羅等に輸出し、紅茶は從來專ら三井に於て製造し、日東紅茶と稱して廣く內地及海外に輸出してゐる。三峽庄奧地一帶には三井經營の茶園が大部分を占め、大豹及大寮には完備した製茶工場を有してゐる。

總督府は本島茶葉につき種々試驗研究の結果、大正七年より積極的な茶葉獎勵方策を講じ、自由組合たる茶葉組合及茶葉公司を組織せしめ、原動機及製茶機械器具等の無償貸下を行ひ、共同製茶の實行をなさしめ、製品の統一及生產費の低減を圖つて今日に及んでゐる。現在郡下には鶯歌庄一、三峽庄六、土城庄四計十一箇所の茶葉公司があり、郡に於ても模範茶園の設置、茶園の改良、品種の淘汰、製茶法の改善、販賣法の改善等指導獎勵に努めて居る。

然し昭和六年以來は世界的不況襲來して、南洋方面の砂糖、護謨等の重要物產の不振、竝に紅茶の世界的產と相俟つて茶價の暴落を來し、茶農は甚だしき恐慌を來たしたが、幸に昭和九年は數年來の好況に喜んでゐる。郡下に於ける最近五箇年間の茶葉狀況は次の通りである。

今後茶葉の振興に就ては先づ舊式茶園を廢して階段茶園を造り、青心烏龍・青心大有・大葉烏龍・硬枝紅心等の獎勵品種を植栽し、鵠を施用して單位收量の揄チを圖ると共に、製茶技術を改良し、製茶工場の設備を完備する等の方法に依つて、優秀なる製品の產出と生產費の遞減に依る價格の低廉とを圖り、依つて以て海外市場に於ける本島茶の聲價を高めることに努めなければならない。

五 肥料

農家經濟の充實を圖る事は、農村の振興國富の進展を期する上の根本である。農家經濟の充實には、農產物の撈セと生產費の低減が必要である。而して農產の撈セを圖るには、作物品種の改良、栽培技術の改善等種々の手段があるが、先づ地力の攝iが第一でなければならぬ。農學の權威者リービヒは「古くは希臘羅馬の衰亡、降つては世界的西班牙大帝國の頹廢も、其の原因は要するに土地を培ふ事を怠つた事に基因してゐる、日本や支那が數千年の久しきにわたつて、今尚存續するのは全く土地を養ふ事を怠らなかつたからである」と云つてゐる。

飜つて本島の農業を見るに、從來は掠奪農業經營に近く、農民は寧ろ施肥しない事を原則として來た狀態である。大正十二年の調查によれば、全く肥料を施用しない面積は總耕地面積の二割五分弱、全く販賣肥料を施用しない面積は五割四分弱に達してゐる。これでは如何に天惠多い土地と雖、地力の減退は必然的の歸趨と云はなければならぬ。その後逐年施肥額は揄チし、臺北州下昭和四年の肥料消費高は、販賣肥料四億斤價格貳千參百萬圓、自給肥料百億斤、價格壹千九百萬圓に上つてゐる。次に郡下の消費狀況を見るに、販賣肥料約拾六萬六千圓、自給肥料約貳拾五萬七千五百圓、約四拾貳萬三千五百圓に達してゐる。然しこれを內地に於ける施肥狀況に比較すれば次の通りで、地力の維持には更に一段の關心を必要とする事が窺知せらるると思ふ。

次に農業生產改善について重要なのは、農產物の價格維持と生產費の低減であるが、價格は生產者と消費者との需給關係によつて決まるものであるから、生產者のみによつて人為的に之を決定する事は出來ない。之に對して生產費の低減は農家が自主的に決定し得る範圍が甚だ廣い。而して生產費中の主要なるものは勞力賃金と肥料代であるが、勞力賃の大部分は自家勞力であるから、現金支出の上から云へば肥料代が最も多く、農家經濟上の重要なる地位を占めてゐる。
隨つて生產費の低減は肥料代の節約といふ事が重きをなしてゐる。之がためには販賣肥料の品質保全、施肥後の合理化等必要であるが、自給肥料の生產揄チの如きは最も緊要問題である。內地に於ては農林省に於て大正八年以來紫雲英、青刈大豆、外國鵠の改良攝Bを獎勵し、本島に於ては總督府、州、郡、街、庄、農會等舉つて自給肥料中、堆肥、鵠の獎勵をなし近年其の成績を舉つて未だ內地に比すれば幼年期を脫しない狀態である。

郡下に於ては大正十三年來州、郡、街、庄、農會補助のもとに堆肥舍二百十四棟を建設したが、農家戶數に對し僅に四パーセントに過ぎず、其の利用狀況も亦充分でない。そこで昭和八年度よりこれが製造獎勵の目的で品評會を開催して、實績を舉げる事につとめてゐる。

鵠は中央研究所農業部竝州試驗場に於て栽培試驗の結果優秀なるものゝ普及をなし、水田に於ては肥效價值少なき大菜を青皮豆に、茶園、柑橘園に於てはテフロシヤ、クロタラリヤ、インデコフエラ等を獎勵してゐる、其の栽培面積は水田四十四パーセント畑地十四パーセントに過ぎず、今尚肥效價值少なき大菜大部分を占め、青皮豆は四百七十一甲に過ぎない有樣である。
以上郡下に於ける概況を略說したが、現在我國にて一箇年間に消費する販賣肥料貳億八千五百萬圓中、海外より輸入するもの壹億五千萬の多きに達してゐる狀態より見て、化學肥料の國內生產を計ると共に、農民各自が自給肥料を製造することは、獨り農家經濟上に於て重要なる地位を占むるのみでなく、國家經濟上の重要な問題である。

六 養豚

豚の特性 

豚は體が丈夫で風土を擇ばず殆ど到る處飼育に適し、飼料には農產廚房等の廢物殘滓をもよく利用され、管理に費用手數を要することが少く、繁殖力が強盛で生育早く、已に生後八箇月頃より肉用に供することが出來る。豚肉は又よく加工貯藏に適し皮は馬の鞍、自轉車のサドル等に、毛はブラシ製造用に適してゐる。

豚の種類

一、バークシヤー種 英國バークシヤー產でそこの在來種に支那種等を交配して改良した優良種である。體色はKく、額と四肢の先と尾の端が白いのが特徵で、これを六白といふ。繁殖力強く粗食に堪へるので、氣候不良、飼料乏しき處に於ても飼育せられ生肉用製造用共に適してゐる。

二 臺灣種 主なるものは桃園種(一名龍潭坡種)中形種(一名印澳種)大耳種(一名双溪種)等があるが、何れもバーグシヤー種よりも發育遲く、肉付步合も劣つてゐる。その生育比較と肉付步合を示せば

この樣にバークシヤー種は生育及肉付步合遙に佳良であるから農會では大いにバークシヤーの普及に努めてゐる。

育成 種牝豚が分娩期に近づけば、乾いた敷藁を細切して與へると母豚はこれを集めてその上に分娩する。一產の仔數は五頭から十二頭が普通で、州立種畜場では平均七頭強、最近郡下二十腹の平均は八頭になつてゐる。母豚には粥又は麥皮、蒸薯、煮麥、豆の磨つたもの等を與へ漸次哺乳を減ずるに從つて食物を揩オ、五週間から六週間位で斷乳する。育成中は勉めて室外或は特に運動場を設けて運動させ、斷乳當時は特に飼方に注意し、次第に普通の飼養に移る。

飼養管理

一、飼料 豚の飼料は甘藷、藷蔓、茄拔菜、酒飴、粕、【 】、魚類、食鹽等を混合して與へる。

現今農家で豆粕を直接田畑に肥料として施すものが多いが、この豆粕に甘藷、藷蔓、食鹽等を混ぜて豚の飼料とし、其の糞便を肥料として施肥するのが最も有利である。

二、肥料 豚の肥育をなす間は運動を禁し、薄暗い小室に靜居させ飼料を多量に與へる。清潔と給食時間を嚴守し、生後六箇月から九箇月の間に肥育をする。飼料は成るだけ蛋白質に富めるものを用ひ、次に炭水化物を揩オ、終期に特に炭水化物を揩キ。肥育後飼養すれば飼料も不經濟で且罹病し易いので早く賣出すのが得策である。

三、豚舍 豚舍は日當りよく乾燥する位置で北風を避け、夏期に暑過ぎる事のない樣にすることが肝要である。床は五十分の一位の勾配で排水の良い樣にコンクリート又は石、煉瓦敷き四壁は煉瓦又は石で堅牢に造り、高さ一米位室は間口三米奧行二米五粉、食器は木、石、金屬類等で造り、大さは種牝豚用は長さ六粉、幅三粉、深さ二粉、肉豚用は頭數に依つて大小を定める。豚舍には運動場を設けることが必要で丈夫な柵を圍らし、場內には樹蔭があれば好都合である。

改良豚舍略圖

七 石炭

鐵路海山郡を通過する者は、板橋、鶯歌をはじめ樹林、山子腳の各驛構內に山積する石炭を見て、附近に炭礦の存在する事を知るであらう。實に郡內山地一帶には炭礦多く、これらの炭礦より採掘された石炭は輕便臺車に滿載せられ、或は三峽庄の奧より、大湖地方の高臺より、又は中和庄、土城庄の山手方面より織るが如く驛構內に搬入されてゐる。

島內に於ける石炭の分佈は北部台灣に限り、就中極北部基隆を中心に最も多く、其の鑛脈は文山郡・七星郡を經て海山郡に伸びてゐる。中和庄・土城庄・三峽庄及び鶯歌庄各地の炭礦は即ちこの鑛脈の一部である。

郡下の石炭は既に領臺前より採掘されてゐたが、需用も少く採掘法も幼稚で、その上石炭採掘を嫌ふ迷信等も加つて、領臺當時は殆ど炭礦らしいものは見受けられない狀態であつた。然し當時に於ても媽祖田炭は基隆郡の四角亭炭と共に有名で採掘をつづけられ、河川を利用して搬出せられたと云はれてゐる。大正十二年 今上天皇陛下が攝政宮として本島に行啟遊ばされたる際、本島產石炭の代表として台覽に供し奉つたのは、四角亭炭と媽祖田炭であつた。

明治二十九年一般に鑛業許可の途を開かれるや、翌三十年、中和庄牛埔には賀田組炭礦、土城庄大安寮には山本炭礦早くも鑛業許可を受け、爾來許可出願をなすもの多く、特に歐洲大戰の影響は一躍炭界に好況をもたらし、其後不振の時代もあつたが現在に於ては中和庄に於ては中坑・南勢角・鶯歌庄に於ては山子腳・大湖・阿南坑・三峽庄に於ては插角・成福・大埔・土城庄に於ては清水坑・廷寮坑・大安寮・媽祖田等盛んに採掘中で、現在郡下に於ける鑛區坪數は凡そ一千八百萬坪に及んでゐる。

炭層は概ね一尺兩寸乃至二尺程度で、炭質は中位のもの多く、微粘結性の柴炭と粘結力の強い油炭の二種がある。鶯歌庄管內より產出するものは殆ど柴炭で一般に燃料に適し、其他の地方よりは油炭の產出が多い。油炭は骸炭の原料とするに好適である。
郡下の採炭量は昭和八年中に於て二萬六千瓲價格約五拾四萬圓を超え、郡下物產の大宗たる米に次ぐ產額を示してゐる。昭和八年度中に於ける驛の石炭發送量は鶯歌驛より八萬五千五百瓲、板橋驛より五萬二千瓲、山子腳より二萬五千瓲、これらは多く製糖會社・鐵道部・船舶等の燃料として消費されてゐる。

石油鑛業は新竹州下に盛んであるが、郡下三峽・土城・中和庄の山地一帶は其の油帶の區域に當り、既に鑛區出願中の者もありと云へば、將來郡下に油田開鑿の實現を見る事もあり得るであらう。

肥沃なる水田に惠まれて農產物豐富なる海山郡は、地下にも無盡の寶を藏して之が利用を俟つてゐる。天惠の自然を開發利用し鄉土の發展に貢献する事は、將に青年に與へられた使命であらう。

 


69 苗代標準施肥量百坪當

大豆粕 一二五斤

過石 四七

燒土可成多ク

70 若苗の特徵

一、生育期間が長く

二、分藁が多く

三、草丈けが伸ぶ

四、出穗が揃ふ

坪當播種適量

萌芽數 五―六合

籾 三―四合

71 鵠犁込適期

鵠 一五〇〇〇斤

堆肥 一〇〇〇〇

過石 一〇枚

草木灰 八〇〇斤

72 米換算率

玄米百斤容量

蓬萊米 四二舛

在來米 四三舛

丸米 四三舛 

長米 四三舛

陸稻米 四三舛

籾千斤容量 六石二舛

籾千斤玄米 三石二舛

73 一、籾摺步合

容積 四割五分乃至六割

重量 七割九分乃至八割三分

二、搗減步合

容積 一割四分

重量 一割

74 臺北州下蔬菜生產郡別比較

海山郡 三五一・八七七円

新莊郡 二八一・三七二

羅東郡 二六九・九四四

七星郡 二四二・七八二

宜蘭郡 二三七・一二一

臺北市 二〇八・五五一

文山郡 一〇二・八六七

基隆郡 一〇〇・一八九

淡水郡 七五・六六四

蘇澳郡 三八・五五〇

基隆市 一一・三四四

州下蔬菜生產多き街庄

板橋街 一七五・九七三円

鶩洲庄 一六八・七一四

羅東街 一〇八・三三四

新莊街 九七・二八〇

士林街 八九・六五一

海山郡街庄別蔬菜生產

板橋街 一七五・九七三円

三峽庄 五七・八七七

鶯歌庄 五二・九七六

中和庄 三九・〇五五

土城庄 二〇・八八九

75 臺北中央市場の取扱 六七〇・一二一圓

州下生產 三〇九・一一六圓

他州ヨリ搬人  二三五・〇六九圓

移人 一二五・九三六圓

基隆野菜市場の取扱 一五二四六九圓

州下生產 一〇九・七九四圓

他州ヨリ搬人  四二・三二三圓

移人 三五二圓 

76 蔬菜移輸出額 一、一三三、二二五圓

同移入類 一、五〇三、六五三圓

 

 

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