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一一 農村青年の覺悟

農村の現狀を靜かに考へた時憂慮56 に堪へないことは、世界經濟57界んの不況の結果、米作・蔬菜・柑橘凡てこれといふ程の利益はなく、其の結果として農村青年が自暴自棄58 となり、農村生活を嫌ひ都市のはなやかさにあこがれ、眼前の利に釣られて農村の棄てゝ都會に走るといふ狀態で、吾等の農村は如何になり行くかといふことである。

然し只悲觀59 的材料のみ多くして、研究すべき好材料がないといふのであらうか。吾々は此の際今一度この鄉土たる農村に對し見直す必要を感ずるのである。現在の農業經營法も漸次合理的60 に進みつゝあることは認められるが、餘りにも進歩の跡遲々たるものではあるまいか。

近代科學の進步交通機關の發達の結果は、農村と雖も時勢の進運に超然として居り得ない。吾々の鄉土は世界の經濟界に密接なる關係を有するのである。內地に於ける開墾61 事業が進步して、米作撈セの研究も進み、急激なる米の撈セとなりたる結果は、米價下落は當然の事である。

臺灣の農業經營法の何處に教育の現はれ、又合理的經營法を見出すことが出來るのであらうか。舊來の經營法その儘を踏襲62 してゐるといふ狀態ではないと思ふ。然らば農村の不況當然なりといふ結論に達するのである。沃野は廣く氣候水利に惠まれた此の臺灣に於て、農村不況を口にするのは未だ研究努力の足らない結果であると斷言して憚らないと思ふ。稻作について見るに、五、六甲步の水田を耕作して居る農家に於て、植付にも取入れにも多くの人夫を傭ひ多額の賃金を支拂ひ、農閑期63 には只遊び暮し其の上度々の祭典に多くの金を費し、副業の事など全然念頭になきが如き經營の狀態である。百姓が人夫を傭ひ多額の賃金を支拂つての經營であれば、作物の收益は賃金に取られ、利益を得る事の困難であるといふ事は當然である。此處に於て農業經營研究の必要を痛感すると共に、農村青年の責任の重大なることを思ふのである。

最近盛に農村自力更生といふことが唱へられるが、これは農村は他より援助せられることなく、農村の振興發達は農村自體が為すべきものであるといふのである。農村青年は其の土地に落ち着き、農村そのものゝ確かな認識が必要ではないかと思ふ。近時農村を棄て都市に出る青年が多いが、此等の青年は為すべき仕事、研究すべき問題が、あまりに多くある為に得ないといふのではないかと思ふのである。

農業經營法に於ても所謂多角形經營法により、米・茶・蔬菜・果樹の栽培・養豚・養鶏による自給肥料を取り、山地の利用又は藁・竹等を利用する副業により勞力を經濟的に按配し合理的に經營すれば、農村の不況を打開し自力更生斷じて難事ではないと思ふ。

諺に「かせぐに追ひつく貧乏なし。」とか或は又、「世の中を何のへちまと思へども、ぶらりとしては過されもせず。」とあるが、農村青年の味ふべき言葉だと思ふ。

公學校教育の普及・國語講習所の各所に於て開設せられたる等の結果、國語習得者は漸次多く青年の大多數は國語を話し得るにも拘らず、只話し得るといふのみにて、常用してゐる者幾人あるかを思ふとき實に遺憾64 に堪えないのである。國語は國民の寶であり、國語を使用することにより內臺人間の融合65 を計り、國民精神を體得することに思を致せば、農村に於ける先覺者67 たる青年は、更に一層國語使用國語普及に努力すべきだと思ふ。

本居宣長の「敷島の大和心を人とはば、朝日に匂ふ山櫻花。」の歌により表現されたるやまとごころ日本心即ち神々しさの氣分、何かしらむが拜みたいやうな氣持、又はなつかしく思ふ優しい氣持、或は簡單明瞭をたつご尚ぶ氣持、これ等を內容とする日本精神を體得する方法としては國語常用の外にないと思ふのである。青年は只自己のみがこの精神を體得するのみならず、一般民眾をして、一日も早くこの日本精神を體得せしむべく努力すべきものだと思ふ。

現在農村民の生活樣式を見る時に、改善を要すべき事はないのであらうか。人身の賣買、冠婚喪祭に於ける冗費、衛生に對する幼稚な考へ、斯く舉げ來れば農村青年の為すべき事は、經濟・教育・衛生・日常生活の改善等枚舉 に遑がない程である。

早朝起き出て、東の空を仰ぎ真赤な旭を望む時、心の躍動68を覺えない青年が居るのであらうか。あの無限の力を持ち昇天する旭を拜しては、鍬持つ手にも自ら力強さを感ずることだと思ふ。

四時の花、木々に囀る小鳥を友として、新鮮な空氣を存分に呼吸して農村更生、文化向上の道に精進する農村青年こそ、真に人生に於ける幸福者であり、又その生活こそ意義ある生活であると思ふ。


56  憂慮

しんぱい

57 經濟

金を得たり使つたりすること

58 自暴自棄

自ら身をそこなつてやけになること

59 悲觀

世の中をかなしく見ること

60 合理的

理窟にあつてゐること

61 開墾

土地を開いて田畑を作ること

62 踏襲

そのとほりにうけつぐこと

63 農閑期

農業の暇な時期

64 遺憾

殘念に思ふこと

65 融和

心がとけあふこと

66 先覺者

学問知識のある先輩といふこと

67 枚舉に遑かない

一々數へあげることが出來ないといふこと

68 心の躍動

しつかりやらねばならないと心を動かすこと


 

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