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第一章 地 理

第一節 位 置

鶯歌庄は臺北州海山郡の管轄にして其の西南端に在り、北緯二十五度七分、東経百二十一度二十七分に位し、新竹州下の桃園高原に接壌す。北は新莊郡新莊街、東北は板橋街、東は土城庄、南は三峡庄、西南は新竹州大渓郡大渓街、西北は同桃園郡八塊庄及び龜山庄と堺せり。

第二節 名 稱

島縦貫線鉄道鶯歌駅の北方近く、線路に竝行して東北より西南に連なる小山脈の斜面、翠風中に一大岩石の忽然屹立するあり、其の形状鷹に酷似せるが故に、古くより之を鷹哥石と呼び習ひしが、領臺後之に語音相通ずるを以て「鶯歌石」の雅稱を付し、降りて大正九年制度改正當時より鶯歌と改稱して庄名となせり。

第三節 区 域

庄域三方里三分に亘り、大正九年十月一日制度改正と同時に、之を分ちて二十一大学に改定せられたり。現在の大学別名稱の沿革、行政区の廣袤及び面積を記せば左の如し。

(一)大学別名稱沿革

(大学別) (舊名稱) (沿革)
彭福 彭福庄 元樹林街、(俗稱風櫃店)、彭厝莊、太平橋莊及び後村莊を合併して一庄となせるものなり(莊は庄の俗字)。開拓當時彭氏始めて来住せしを以て彭厝莊(厝は家の義)と名づけたりしも、不雅の故を以て後彭厝庄と改稱せり。
圳岸脚 圳岸脚庄 清の乾隆三十一年(明和三年)業戸張沛世来りて今日の後村圳(元は永安陂又は張厝圳と稱す)を開築し、圳路の両岸に沿ふて住居を構へたるが故に圳岸脚庄(脚は下の義なり)と名づけたり
三角埔 三角埔庄 其の地勢略三角形なりしが故に三角埔庄(荒蕪の地を埔と謂ふ)と稱す
猐仔簝 猐仔簝庄 開拓當時猐(鹿の一種)の猟者此の地の谷間付近に簝(仮小屋の意)を築造して仮住せるが故に、之を猐仔簝庄と名付く
潭底 潭底庄 窪地にして溜水池を成し、排水極めて悪しく、豪雨一度至らむか、水深數尺に増漲し、其の面積二三百甲歩に達すれど、當時に在りては池底の大部分露出して耕作せらる。因つて潭底庄と稱す
陂内坑 陂内坑庄 當初山麓に陂(堤又は貯水池の義)を築き、貯水して田に灌ぎたり。故に陂内坑庄と稱す
山子脚 山子脚庄  元山仔脚莊、横坑仔莊、太高坑莊、中坑莊及び蓋淡坑莊を合併して一庄となせるものなり。山仔脚とは「小山の麓」の義にして、開拓當時住民多く山の麓に住居を構へ、漸次部落を形成したるを以て此の名あり
石灰坑 石灰坑庄 石灰石の産地にて、嘉慶年代(文化時代)魏少と謂ふ者此の地にて石灰製造を始めたるを以て此の名あり。元石灰坑莊、斗門頭莊を合せ一庄とす
崙子 崙仔庄 崙仔とは溪中の小高き浮洲の意なり。當時土地の實況に依りて斯く命名したり
三塊厝 三塊厝庄 開拓當時住家三軒ありし事實に因みて三塊厝庄(俗に家屋一軒を一塊と謂ふ)と稱す
石頭溪 石頭溪庄 元田尾莊、上石頭溪莊、下石頭溪莊及び柑園街の一部を合併して一庄となす。此の地南北側の河川、流路一面の石塊に因みて此の名あり
桃子脚 桃仔脚庄 開拓當時該地に大なる桃樹あり、炎天の際住民或は通行者の其の下に憇へる者多く、後人之を慕ひて桃仔脚庄と名つけたりと云ふ
溪墘厝 溪墘厝庄 元溪墘厝莊及び柑園街の一部を合併して一庄となす。溪墘とは川端の意にて、開拓當時大嵙嵌溪本流に沿ひて民家を構へたるを以て此の稱あり
樟樹窟 樟樹窟庄 窟とは水溜の意なり。往時當地に大なる水溜あり、其の周囲に亦樟樹繁茂せるに因りて此の稱ありと云ふ
阿南坑 阿南坑庄 元阿南坑莊、阿四坑莊及び茶山莊を合併して一庄となす。最初呂阿南と稱する者来住して開墾に従事せる事實に因れる命名なり
鶯歌 鶯歌石庄 元鶯歌石莊、南靖厝莊及び牛灶坑莊を合併して一庄となす。舊誌に依れば鷹哥石と記せるも、後地名改稱の結果鶯歌となれり(第二節参照)
南靖厝 南靖厝庄 開拓當時支那南靖地方より始めて此の地に移住し来れる者あるを以て此の名あり
尖山 尖山庄 元尖山莊及び尖山埔莊を合併して一庄となす。此の地に独立山あり、其の形宛然扇を倒懸せるが如く、頂上極めて尖 なり。住民之を尖山と名付け転じて地名に用ゐたり
橋子頭 橋仔頭庄 東の尖山庄より此の地の中央を貫通して西の中庄に至る道路あり、而して各境界倶に橋を有するを以て斯く名付けられたり
大湖 大湖庄 元大湖莊、三界公坑、中坑、樟普坑、大竹囲及び圳 仔頭坑の六部落と鶯歌石莊の一部嵌脚とを合併せしものなり。此の地の中央は窪みて平坦なれども、周囲は山。に環繞せられ、地勢宛然大なる湖の如し

(二)行政区域の広袤及び面積

庄行政区域を三十委員区に分つ。二十八保二百五十七甲を有し、牡丁団五を備へ、警察官駐在所の設置せらるもの五個所なり。

大字別方位は、極東彭福、極西大湖、極南橋子頭、極北三角埔にして、其の広袤東西は九・二四三粁、南北は七・二七三粁、面積三・三三方里なり。其地目別甲數を舉ぐれば左の如し(昭和七年末現在)。

第四節 地 勢

庄域は東北より西南に細長く、西北は山岳に富み、東南は平野にして、西南高く、東北に傾斜す。平野には淡水河(元大嵙嵌溪)數條に分流し、柑園、南靖厝、崙子、山子脚等の如き皆四方溪流に囲まれて中島を成せり。

第五節 山 岳

挿天山脈の余勢は延びて龜崙山脈となり、更に當庄大湖と新竹州桃園郡龜山庄との境界点より二分し、一は北に向つて坪頂高原を作り、一は當庄大湖に入りて東北に走り、蜿蜒起伏して高山峻嶺を成す。今其の重なる山岳を舉ぐれば左の如し。

尖 凍 山  子寮地先

大 凍 山 陂内坑地先

大 尖 山 山子脚字山子脚四七九番地先(臺灣陸地測量標あり)

鶯 歌 山 鶯歌北側の連山

尖   山 尖山三六八番地先独立山

第六節 河 川

(一) 淡 水 河

庄域内には淡水河(元大嵙嵌溪、淡水庁誌には大姑嵌溪に作る)數條に分流し、平時は水量少く、時には涸渇するも、一朝豪雨に際会せば忽ち數十尺の増水を見、田畑に氾濫すること亦稀ならず。其の源は遠く次高山(元シルビヤ山)より発し、新竹州大溪郡龍潭庄石門に出で、同郡大溪及び中庄を過ぎ、當庄の南彊鳶山北麓に至りて二幹流に分れ、一は東に向ひ、溪 厝、桃子脚の南側を通りて三峡庄との境界をなせり。他は南靖厝より更に分流し、一は南靖厝の中央を貫通し、他は西北に向ひ、屈折して鶯歌にて大湖川に会するも、樟樹窟付近に至りて復び合流せり。石灰坑と崙子との間に二支流あり、一は東に転流して山子脚、三塊厝間を通り、一は北に直流して山子脚の中央を貫き、彭福、後村を経て共に淡水河に注ぐ。

幹流には水多く、鮎を産し、且つ舟楫の便あり。

(二) 大 湖 川

大湖川は新竹州桃園郡龜山庄兔子坑の大湖頂より出でで西南に向ひ、屈折して大湖の中央を貫通し、鶯歌と尖山埔との境に至り、東に転流して鉄道線を過ぎ、大嵙嵌溪の支流に注ぐ。平時は水量少く、殆ど涸渇の狀態なれども、豪雨の際には十尺以上増水することあり。

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