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第五章 產業並業佃事業

第一節 概說

耕地は大嵙崁溪及新店溪の流域に沿へる臺北平野の一部を占むる關係上地位豐沃にして灌溉、排水の便備はり、農作物良く繁り殊に米、茶、甘蔗、蔬菜等の如き重要物產に富む。又三峽庄に接續せる山地方面は林業物多し。然れども近年農產物價暴落の影響を受け例年の如く農民の生活一般に豐かならず。而して農業は郡下產業の首位を占め、地方經濟の根幹を為し其盛衰は住民の經濟に直に影響を及ぼし、最も重要なる位置にあり。故に小作慣行の改善、地力攝i、品種の改良、管理方法の改善等の施設に就いては、常に最善の注意と力を注ぎつつあり。

第二節 耕地面積及農業者

耕地面積は總面積の約五割餘に當り、其面積一一、四一二甲にして內田六、一一一甲畑五、三〇一甲ありて、農民一戶當耕作面積は田一甲七厘畑〇甲九分三厘に當る。農業戶數は五、七一〇戶人口は四五、三三二人にして總戶數の三割七分總人口の四割八分に當る。尚之れを耕作者別に見れば小作、自作兼小作、自作の順序にして小作の最も多き地方は三峽庄にして農業戶數に比し五割五分自作の最も多き地方は中和庄の農業戶數に對する三割一分なり。

1 耕地面積 (昭和七年末)

2 農業戶數 (昭和七年末)

第三節 農產物

一、總說

農產物總生產高は昭和七年に於て四七四萬圓に達し總生產額五四〇圓に比し約八割七分を示せり。而して之を昭和六年に比すれば五四萬圓の揄チにして、昭和五年に比するに三八萬圓の減少を示す。財界一般の不況に伴ふ農產物價の下落による減少なるが、其の最も著しきものは輸出品たる茶なりとす。尚昭和六年に比し昭和七年に於ける揄チは中間景氣によれるものなり。本郡に於ける農產物の大宗は米、茶、甘蔗、蔬菜等なり。

二、米

米は地味豐沃なると農家の耕作方法の改善に依りて、近時頓に單位收量揄チし臺北州農會主催水稻最高收量競作會に於て、常に優秀なる成績をおさむ。作付品種は一期に蓬萊米、二期に丸糯を主とし、州下に於ける斯る品種の主產地たり。

三、茶

茶は山手地方に產出し、擺接茶、三角湧茶の名を以て往時本島茶葉界を風靡し產額の多きと良質と誇れるも、中代茶園の荒廢と共に產額減少せり。然るに近時當局の獎勵と當業者の覺醒とに相俟ちて、再興の機運に向ひたる結果市場に於て常に比較的高價に取引せられつゝあり。而して最近總督府の獎勵に基き茶葉公司を設立し、大量生產と製品の統一を圖りつゝあり。昭和七年末に於ける公司數一〇箇所、公司員數八七名次に資本金一七、四〇〇圓茶園面積六六七、五甲に及ぶ。又茶生產地たる三峽、土城兩庄には茶葉改良會を設け、斯業の統一改善を圖りつゝあり。本郡の製茶は包種茶を第一に烏龍茶之に次ぐ、三峽庄の山地には三井合名會社が六〇〇甲餘の茶園を經營し、紅茶の製造に從事しつゝあり。

四、甘蔗

甘蔗は臺灣製糖株式會社臺北製糖所の原料區域に屬し、品種改良と耕作法の改善とにより最近甲當收量著しく揄チし、二〇萬斤を超ゆるもの少からず。

五、蔬菜

蔬菜の主產地は板橋街、中和庄にして臺北市竝基隆方面に搬出せられ漸次揄チの傾向と共に品種の改良を見つつあり。尚他庄に於ても之れに做ひ產の狀況にあり。

六、柑橘

柑橘は其重なる產地は鶯歌、三峽の兩庄にして高檣桶柑、斗柚とす。其產額未だ多からざるも土質柑橘に適し將來の產を期待せらる。

主要農產物表1(昭和七年末現在)

主要農產物表2(昭和七年末現在)

第四節 畜產

畜產は養豚を主とし、其產額九二七、七二三圓を超え米に亞ぐ。近時品種の改良行はれバークシヤ雜種を普及す。飼養管理の方面に於ては改良豚舍の獎勵、飼料作物の栽培等に依り著しく改善せられ、其效果顯著たり。水牛に就ては種牡牛を置き、個體の改良を圖り強壯頑健なる耕牛の攝Bに努め、又養鶏に於て卵用兼用の強壯なる雜種鶏の攝Bを獎勵し、養鶏經濟の革新を企圖しつつあり。今日に於ては各街庄は畜產組合の設置を見るに至り、大に畜產の發達を圖りつつあり。

(昭和七年度)

第五節 林業

林野面積官民有合せて一四、五三〇餘甲步にして平地の約二倍に達し地味造林に適すと雖も、舊時の濫伐濫墾の結果表土を失ひ甚しく荒廢に歸し、良林に乏しく僅に三井合名會社事業奧地方面に天然の良林を見るも事業擴張に伴ひ逐年減少し今や產出を絕たんとしつつあり。然るに民行造林の獎勵は種苗の配付に依り實行しつゝあり。大正十三年以來各庄に初めて共同苗圃を設置し、相思樹、松類の造植を為し居れり。尚林面積累計は明治四十二年以來七、〇〇〇甲に達し、民有林四、九八二甲各種許可地及一般國有林九、五四八甲合計一四、五三〇甲に對し四割八分に當る。林產物は木材三四、二四四石五〇、九八九圓薪炭六、八〇〇、六〇〇斤六四、四四七圓竹材二一四、七八一本一二、三〇〇圓籐、筍一六六、三九〇斤七、八九五圓合計一三五、六三一圓に達する而して現在に於ては民行造林樟樹、相思樹等合せて七、六七〇甲に達す。

第六節 業佃會

業佃會の設立は業佃爭議の豫防之れが融合併せて農產の獎勵を目的として、大正十四年土城庄に設置せられてより年を遂ふて設立せらるるに至り、今や全郡下に及び更に進んで之れが統轄を目として的郡聯合業佃會を設置せられ其成績目醒しきものあり。即ち郡下を通じ會員數は地主一、七二一名小作人一、九六六名計三、六八七名にして契約件數一、七二九件面積田畑を合して三、〇六八甲に達し、小作地面積五、九八三甲に對して五一・二九%に當る。

一、業佃會成績表(昭和七年度末)

第七節 水產業

漁業は總べて河川に於けるものにして、漁場は概ね大嵙崁溪及新店溪にして其漁獲物も主として鮎にして全產額の八割を占む。從業者は各街庄を通じて六四三名、外に養魚者二〇七名にして年漁獲高は一九五一七圓に過ぎず。

第八節 鑛業

鑛業は主として石炭にして基隆、七星の二郡に次ぎ產額多く炭質良好なるを以て名あり。近時財界の影響を受け炭價暴落を為し不振の狀態にて各所に休坑を見るに至れる尚七年中の產出額は五〇二、五〇〇圓に達し礦區坪數は五、二八九、三一二坪に及ぶ。

第九節 商工業

一、商工業

地勢大都市に接近するも住民殆ど農家にして、商業は農家の生活必需品の媒介に過ぎず。工業は磚瓦類、土器類、石灰等を除くの外は何れも加工にして特筆すべきものなきも、米產地たる關係上多數の籾摺業ありて、年額一二〇餘萬圓を產出する盛況にあり。此の外生產加工を為すものは精米、磚瓦、陶土器等にして、其他は大凡副業的のものにして合して一、〇〇七、一八六圓を算し、地方商工業として盛況なり。又三峽庄山地には製腦事業あり、年々衰ひつゝありと雖も尚は芳樟油、樟腦、腦油併せて八六、六五〇瓩を產す。

二、會社及組合

會社及組合は概ね不動產、有價證券賣買、運輸、交通、造林、開墾、籾摺、精米等を目的とせるもの最も多く、出資額も五〇萬圓を最大とし、二、〇〇〇圓を最少とし、十八會社七組合にして出資總額は一、八四九、二九七圓に達す。

主要製造業一覽表

第一〇節 金融

一、總說

金融機關は信用組合七、銀行支店一ありて、郡下農民商工業者は何れも之れに依り金融を計りつゝありて、相當機能を發揮しつつあり。農村金融は他地方同樣、水稻作付及收穫期、製茶期に最盛なり。然るに最近の如く農產物價殊に米、茶の如き主要物產の不振に遭遇するや之れが打開策としては產業組合の發達殊に利用購買事業の充實に俟たざるべからざるを以て、常に指導助成を怠らざるべく努めつゝあり。

二、產業組合

信用組合は七にして最古を樹林組合とし、大正六年の設立に係り、最新を土城組合とす。內兼營組合六にして、土地利用及肥料購買を目的とす。組合員數四、七八一人出資口數一〇、二六三口、拂込濟出資金一六〇、二九七圓諸積立金二一五、〇五四圓、貸付金八六九、一九二圓貯金九八七、五九六圓にして不況にも不拘一般に堅實なる發達を遂げつつあり。而して事業組合として海山蠶業利用組合、尖山陶器利用組合、樹林畜產組合あれども、海山蠶業利用組合は昭和七年六月一日解散、尖山陶器利用組合は昭和七年五月九日解散、樹林畜產組合は昭和七年五月二十六日解散し、其の事業中養豚獎勵事業は畜產組合に、酒糟購買事業は樹林信用合作組合之を引繼ぎたり。又成福信用合作組合は昭和八年二月十五日臨時總會に於て三峽信用組合に併合せらるゝ事となれり。

(昭和七年末現在)

三、銀行金融

銀行は普通銀行にして彰化銀行支店なり。昭和八年三月末現在、貸付高二一萬圓を超え各種預金は四三萬圓、又為替取扱も拂込約九萬圓、拂出二萬圓にして農家經濟上に利便を與へつゝあり。

四、郵便局

郵便局は板橋、三峽にありて為替貯金等を合して三一、八二八件金額二三六、三四九圓に達し、是又農村金融に相當の影響を及ぼしつゝあり。

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