第一章 土地、戶口 第一節 位置、地勢、面積 本郡は東經一二一度二八分に位し島都台北市の西南にありて東は文山郡西は北緯 二四度五八分新竹州桃園郡、大溪郡に接し北は新店溪及大嵙崁溪を挾て臺北市竝新莊郡と界す。 地勢は北より南に長く東西に狹く文山、大溪竝新莊郡に接觸する地域は山岳重疊せるも、西部北部の一帶は坦々たる沃野にして大嵙崁溪三角湧溪は幾多分流派流を岐ちて此中央を北東に貫流し、郡下大部の平野を灌溉し臺北市、新莊郡界に至りて新店溪と合流して淡水河と為る。面積二〇方里二九五二にして內五割は耕地面積なり。 街庄別面積 (昭和六年臺北州統計書二依ル) 第二節 山岳、河川 本島の中軸を為す中央山脈は北走して羅東郡下ピヤナン鞍部に至り二分して一派は北東に走り一派は北西に向ひて插天、北插二の二山を起して本郡に入り更に二分して一は文山郡界を一は大溪郡界を為しチーロック、獅頭、六寮崙、熊空、五寮尖、五寮崙の諸山を抱擁す。又新莊郡下北部に聳立し淡水河口を擁扼する觀音山は南西走して本郡に入り石灰坑山を起して桃園郡に去る。而して東部蕃地に接續する地方は高山性に屬し諸峯群立し、西部地方は低山性にして臺地を形成す。河川の重なるものは大嵙崁溪、三角湧溪、成福溪、新店溪となす。大嵙崁溪は源を新竹州下蕃地大霸尖山に發し插天山の背面を迂迴して大溪街に出で本郡に入り三角湧溪を合せて途中幾多の分派を為して北西流し新莊、臺北の郡市界に入りて新店溪と合し淡水河となる、流程五里三三丁流水淺く上流は辛ふじて舟楫の便を為す。三角湧溪は流源をチーロック山麓に發し北流して三峽庄に出て更に東流して劉埔に至り大嵙崁溪の派流に合す、流程六里七丁水淺く舟楫の便なし。成福溪は源を三峽庄の東部加九嶺に發し西流して麥子園に至り大嵙崁溪の派流に合す、流程二里一五丁。新店溪は其源を文山郡下蕃地棲蘭山に發し北流して北勢溪、景尾溪を合して本郡と文山、臺北の郡市界を為し江子翠に至りて大嵙崁溪と合して淡水河となる、郡內に於ける流程二里三四丁にして舟楫に便す。 第三節 氣象 地勢東南に高山を負ひ西北に平地開け臺北平野の一部を為し、且臺北市に接するを以て氣溫雨量共に臺北市と差異なし。基隆方面に比すれば晴天多く一年平均雨量は二、四三〇粍內外にして基隆より見るときは三分の二に過ぎず。而して四月より十月に至る間は暴風、雷雨を除きては一般に天氣靜穩なるも盛夏の候は暑氣強烈にして中南部と大差なし。氣溫は一年平均攝氏二二度なるも最寒の二月は一五、六度迄下り。之に反し盛夏の七、八月は二八、四度にも昇り基隆方面に比しては稍々高し。風位は盛夏に於ては南乃至西を占むるも其他の委節に於ては北東の風大部分を占め、速度は冬期に強く夏期に弱く年平均一秒時三米なり。 第四節 戶口 郡下の住民は支那より移住したる閩粵兩族(漢人)內地人及外國人とす。漢人は泉漳兩州と廣東人其他を云ひ外國人は支那人のみ。而して住民の大半は農業に從事し三分の一は勞働者にして其他は商工業等に從ふ。內地人は殆んど官公吏及其の家族たり。戶數は一五、二三五戶人口九三、八八六人にして內男四八、三四四人女四五、五四二人にして年々漸揩フ傾きあり。 昭和七年末現在戶數及人口(昭和七年一二月三一日現在)
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