林逋は、字は君復で、南宋の杭州、銭塘の人です。幼い頃から貧しく学問好きで、性格は無欲で、栄華や富を貪ることはありませんでした。若い頃は長江と淮河の間を遍歴し、故郷に戻ってからは、西湖の孤山に隠居し、20年に渡り町には足を踏み入れませんでした。しかし、その名声は遠くまで知れ渡り、宋の真宗は穀物や織物を賜り、死後、仁宗によって和靖先生の名を授かりました。

和靖先生は生涯未婚で、妻も子もなく、住居で梅や鶴を育てたため、「梅を妻にし鶴を子とする」と形容されました。

後の人が、梅の花に隠居の意味があると考えたことは、林和靖と関係があるのでしょう。