唐朝の人は特に牡丹の花を好みましたが、唐の明皇(玄宗)はその代表です。玄宗の宮中の興慶池以東、沈香亭の下では、さまざまな色や品種の牡丹が育てられ、花の季節になると、玄宗は楊貴妃とともに沈香亭で牡丹を鑑賞しました。

ある年、玄宗が牡丹を鑑賞していた時、突然歌曲を用いて吟詠することを思いつき、人を派遣して翰林大学士、李白を宮廷に招きました。その時、李白は長安の町の居酒屋家でべろべろに酔っ払っており、宮廷まで運び込まれてきました。玄宗は我慢強く李白の酔が覚めるのを待ち、さめたら牡丹の詩を一首作ってもらうおうと思いました。後に李白は、「清平調」で全部で三つの詞に曲をつけ、牡丹の花を詠唱し、玄宗を感嘆させました。

後の人が牡丹の花と玄宗または楊貴妃と合わせ、富貴を比喩するようになりました。