龍門の西壁に位置し、左は漢鍾離、右は呂洞賓です。

漢鍾離は、姓を鍾離、名を権といい、号を「正陽子」といい、また「雲房先生」ともいいます。その生涯には2つの説があります。一説では、漢の大将で、異人に遇って仙術を学び、真の仙人となり、玉皇大帝は「太極左宮真人」として封じました。もう一つの説は、唐朝の、呂洞賓と同じ時代の人で、「天下都散漢(天下で一番暇な男)鍾離権」と自称し、後の人が「漢」の下の字を続けて呼びならわしたため、「漢鍾離」と呼ばれるようになったというものです。

呂洞賓は、本名を呂巌といい、字は洞賓で、自らは「純陽子」と称しています。唐代の長安の人で、進士として県令を授かりました。母親がお産する時、家中異香が鼻をつき、空には仙楽が鳴っては止み、1羽の白鶴が天から下りてきて、母親のかやの中に飛んで入って来て、消えたと伝えられています。生まれた呂洞賓は案の定度量が大きく、小さい頃から非常に聡明で、さっと見ただけで暗誦し、口から文章が出てきました。後に火龍真人から天遁剣法を伝授され、鍾離権に遇って道術を授かったため、これによって妖怪を斬り、害を取り除き、民衆を幸せをもたらしました。