虎門の東壁に位置しており、左は曹国舅、右は韓湘子です。

曹国舅は、宋の仁宗の時代の大国舅と伝えられ、名は?、景休ともされます。曹国舅の弟は色恋に溺れ、都に試験を受けに行った秀才の妻の美しさに惚れ、秀才を絞め殺し、その妻を奪いました。秀才の魂が包拯に訴え、包公が調査をさせました。曹国舅とその弟は共謀して秀才の妻を殺害して、後々の禍いを取り除こうとしましたが、秀才の妻は死なず、2人の国舅は法の網を逃れることができず、処刑されそうになったところを、宋の仁宗の大赦天下によって、包公は曹国舅を釈放しました。曹国舅は釈放された後、山に入って修行し、山林をめぐって、修道を志し、仙を学びました。後に道を得た鍾離権と呂洞賓から道術を授かり、まもなく曹国舅は仙人になりました。

韓湘子は、唐朝の韓愈の姪の子です。性格は放埓糧勝手で、読書を好のまず、飲酒が好きです。先祖伝来の道を学び仙人となり、20歳の時に洛下に行き、親戚を訪れた時に、山川の趣を愛してそのまま帰らず、20年以上音沙汰がなかったと伝えられています。唐の元和年間に、忽然と長安に戻りましたが、服はぼろぼろに破れ、行為は奇怪でした。韓愈は学校に入れて勉強させましたが、韓湘子が教師と討論する際に一言も発せず、召使と賭博をしてばかりいて、酔っ払っては馬屋で3日も4日も眠っていたり、街頭に野宿していたりしました。韓愈が心配して「人にはそれぞれ長所があり、行商人でも一技の長があるが、お前はこうしてでたらめばかりやって、将来何ができるというのだ?」と問うと、韓湘子は、「私にも技があります。あなたが知らないだけです。」と答えました。韓愈が、「お前に何ができるというのだ?」と聞くと、当時は初冬であったのに、牡丹の花をさまざまな色に咲かせ、また盆に土を盛り、一瞬のうちに花を咲かせました。