劉邦と項羽は二手に分かれて秦の首都咸陽城を攻撃し、先に城へ入った者が天下を取ることに取り決めた。のちに沛公劉邦は先に咸陽に入ったが、程合いをわきまえて、ただ咸陽の人民と法規上の約束をかわしただけで霸上に戻った。一方項羽は章邯らを襲撃し、二十萬人の秦兵を生き埋めにして殺した。また項羽は劉邦が一足先に入城した知らせを聞いて、鴻門で軍營を設け、知恵と謀略を備えた人物范揩ニ一緒に劉邦を陥れる計略を練った。 項羽の叔父項伯はかつて張良に命を救われた恩があり、范揩ェ劉邦と張良を計略にかけて陥いれようとしていることを聞いて、連夜劉邦にこの消息を伝えに行った。しかし劉邦はこの知らせを聞いて、明日自ら項羽の軍營へ出向いて謝罪に行く約束を取り付けてくれるよう、項伯に頼んだ。 翌日、劉邦は張良、樊噲らと鴻門へ行き、劉邦は直ちに跪いて謝罪し、自分が先に入城したが、自分だけその恩恵にあやかるような事は決して考えておらず、ただ盜賊らをまだ追捕してないため兵士を派遣して関門を守っているのだと話した。項羽は本来無邪気な性格であり、劉邦の言葉が理に適っていると感じて逆に恥ずかしく思い、宴会を設けて劉邦たちを持て成した。 宴席の間、范揩ヘ三回ほど項羽に劉邦を殺すよう暗示を出したが、項羽は全く見向きもしなかった。よって范揩ヘ項莊を招き、剣舞を演じる際に劉邦を刺し殺すよう項莊に命じた。しかし張良がそれを見ていて、項伯に助けを求めた。そこで項伯は項莊と一緒に剣舞を演じると申しでたが、実際は項莊を近寄らせずに劉邦を保護するためであった。また、張良も外出するという言い訳をして樊噲を宴席へ加わらせ、樊噲は些かも憚ることなく項羽に全てを話した。劉邦は隙を見て席を離れ、テントを出た後、樊噲らと急いで戻って行った。張良は残って後始末をし、これによって項羽は逆に范揩疑い、范揩ヘ怒って項羽を罵った。 |